努力家として知られている藍寅倫は、走塁でも守備でも全力プレーを貫き、常に一生懸命な姿を見せている。しかし、2014年のプロ入り以降、ほぼ毎年怪我をするという憂き目にあっている。去年は開幕戦で怪我をして、あまりにも運が悪いと思った彼は「一生懸命頑張っているのに、どうして恵まれないのか」と嘆いた。一年間という長いリハビリ期間を終え、彼はもう嘆かない、という想いを、一軍復帰戦での逆転3ランホームランでみんなに「帰ってきたぞ!」と宣言した。
取材/楊啟芳 写真/戴嗣松 翻訳/黃意婷
藍寅倫Profile
生年月日:1990.05.07(27歳)
身長/体重:180cm/87kg
守備/投打:外野手/右投げ左打ち
経歴:Lamigo Monkeys(2014~)
試合中、いかなるプレーにおいても全力疾走を貫く藍寅倫だが、実は反抗期と言える時期もあった。高苑商工学校に在籍中、早くお金を稼いで自分のやりたいことをしようと、野球を諦める事を考えたこともあった。そのときは自らの将来に対するビジョンは何もなかった。しかし、高苑科技大学に入った後、自らの将来を模索し、夢もたくさんできた。「今まで家族が育ててくれ、支えてくれていた事ことが身にしみてわかった時、どんなことがあっても簡単には諦めない」と語った。
大学の監督が態度を変え、怠け者から努力家へ
藍寅倫が高苑科技大学に入ったと同時に同校に野球部が誕生。初代部員だったために先輩は不在。そのために一年生時からキャプテンに選ばれ、そこから人生に対する態度も一気に変わった。「キャプテンだったため、ほかの部員より、監督に厳しく指導をされていました。当時はその事が嫌だったけど、今振り返ると、監督に感謝しています」中学、高校の頃は、試合でゆっくり走っても怒られなかったため、常に本気で走る事の重要性を知らなかった彼は、大学の監督である陳威成監督から厳しく怒られたことで、球場での態度がとても大切なことを痛感した。「その時やっと、アウトかセーフ、勝ち負けに関係なく、全力疾走する事が一番大事だとわかりました。監督が僕に一番伝えたかったことは『いつでも全力プレーをする事』でした」陳威成監督に教わった事を教訓として、藍寅倫はプロ野球の世界に挑むことになった。ドラフトの第七巡目は、決して上位指名ではなかったが、1年目のシーズンが始まって一ヶ月も経たない時に、一軍のスタメンとして試合に出場する事ができ、注目される存在となった。「プロに入ったばかりの時、テレビでしか見られなかった憧れの先輩達に出会えた。みんなスター選手なので、新米の僕はスタメンになるとは思ってもみなかった」プロの世界に触れる中でさまざまなことに臆することなく挑戦し、自らのバッティングフォームや練習の仕方も色々と変えていく中で、自分に合う形を見つけて行った。試合でもいい結果が出るようになり、良い成績を維持することができた。
一年目の最後に落とし穴、一塁ベース上で涙を流した
入団一年目、藍寅倫は自らの背番号の数字「88」と同じ88試合に出場した。その中で、ホームラン4本、打率.339という優秀な成績を残した。ただ、ラミゴモンキーズの陳禹勳、富邦ガーディアンズの黄勝雄と共に最優秀新人賞を争いながら順調にシーズン後半へ突入し、チームも台湾シリーズに進出することが決まり、自らも28人の登録選手として選ばれることを期待していた所で怪我をしてしまった。2014年9月6日、一塁へヘッドスライディングをした時、力が入りすぎて、右手の手首を骨折。一塁ベースにタッチした途端、すぐに痛みを感じた時は、嫌な予感しかしなかった。手首に激痛がはしり、バッティンググローブを脱ぐ力さえなかった。台湾シリーズの直前でまさかのアクシデント。彼は一塁ベース付近で、自分の涙と汗が球場の土に落ちるのを見た。「しまった、今回は本当に大変だ。何週間休んでも治らないだろうと思った。相手チームがタイムをとっている間、絶望的な考えが頭の中にたくさん浮かんで来た。ひょっとしたら、一度休んだら球場に戻るチャンスもなくなるじゃないか…」当時のことを思い出すと、眉をひそめざるを得ない。台湾シリーズに出られるように意気込んでいた中での負傷離脱。「積極的なプレーで、台湾シリーズ中、プレーできなかったのは一番残念なことでした」と藍寅倫。「どうしてあの日ヘッドスライディングをしたんだろう」と後悔の念。結局、そのシーズンの最優秀新人賞に輝いたが、最後の大舞台を前に負傷してしまった事は、本人にとってとても辛い思い出となった。不運が次のシーズンにも続いた。2015年、シーズンが始まって1ヶ月の時期に、右手の肘の靭帯が切れ、復帰まで約3ヶ月を要した。リハビリはとても辛く、単調でつまらないものだったが、当時のトレーナーからの励ましを力に変えて最後まで頑張ることができた。後期シーズンに復帰した藍寅倫は監督の期待に応えて、打率.325という好成績を残し、ホームランも2本打って見せた。
去年の開幕戰も怪我からのスタート。右足の次は左足も…。
不運はまだ続いた。去年の3月19日の開幕戦、外野フライをとるために無我夢中でボールを追いかけているとそのままフェンスに衝突し、右足の後十字靭帯損傷の大怪我を負った。その時も激しい痛みで立つことさえできなかった。さらに5月の下旬、右足の怪我が完治する直前に、リハビリの間に右足をかばって左足を使いすぎたせいか、今度は左足の半月板損傷になってしまった。その後、手術を受けて治療、リハビリを続け、そのシーズンは棒に振る形となった。「右足がもうすぐ治るという時に、今度は左足に怪我をしたなんて、当時はどうしても信じられませんでした。しかし考えてみると、右足の状態が悪い時、左足にいつも以上に負荷がかかるため、怪我をしやすくなるのも当然のことですね」この右足の怪我は、藍寅倫の野球人生で最もひどいものだった。手首は大学時代にも怪我をして傷跡が残っているが、膝の怪我は初めてのこと。武器である“足の速さ”にも影響が出るのではと心配していた。「何がなんでも足に怪我をしてはいけないと思っています。自慢の足を怪我してしまったら、思う存分に走ることができませんから」。そして、怪我が続くことで満足にプレーできず、努力したのに報われないと、自らの不運を嘆いた。「練習や試合の時も真面目に取り組み、スプリングキャンプからもしっかりと準備をしてきた。自分の中では”みんなより真剣に取り組んできた”という事を胸を張って言えるでしょう。なのに、どうして怪我をしてしまったのか…」怪我で休んでいる期間を「とても辛い」と正直に話す。「リハビリの辛さもあって、自分の事を疑うようになり、もう球場に戻れないかなと思ってしまいます」。そこから再び立ち上がることができたのは、家族、友達やファンたちの励ましの言葉があったからこそ。そして自信を取り戻すには、チャンスが必要だと思っている。「練習の調子がよくても一軍に復帰できるとは言えません。しかし、二軍の試合に復帰出場した時、実力は昔のままだと実感でき、自信を取り戻しました」。試合を重ねることで復活への階段を確実に駆け上った。
3ランホームランで復活し、チャンスを掴んだ自分に感謝
入団から今まで、健康な体でスプリングキャンプに参加したことは一度もなく、毎年怪我と戦っている藍寅倫は、今年もスプリングキャンプの期間をリハビリに費やした。しかし、半年ほどしっかりと休んだ事で、現在のコンディションはプロに入ってから最もいいと思っているようだ。「今年こそ、思い切って走れるし、投げる時もぜんぜん痛くない。久しぶりに良いコンディションで戦えると思います」4月26日、一軍へ上がるという知らせが来た時、やはりとても緊張した。長い間一軍にいなかったため、二軍でいい成績を残していても、自分の現在の力をはっきりと把握できていない。それでも1軍へ昇格翌日、早速スタメンとして試合に出場すると、6回表、統一7-ELEVEnライオンズと同点の場面で見事な3ランを放ってみせた。「ホームランを打った時は気持ちを抑えられませんでした。当時はライオンズとのゲーム差が少なかった。そんな時、チャンスが目の前に現れて、そのチャンスを掴んだ自分に感謝しています」この一発で自信を取り戻すだけではなく、監督の信頼も取り戻した。ラミゴモンキーズの外野は優秀な選手ばかりで、詹智堯、陽耀勳、鍾承祐のほか、外野守備もできる内野手の余德龍、朱育賢もいる。そんな激しい競争のなか、彼は印象深い一撃で自らの力を再証明することができた。
三年間の試練、戦う姿勢と健康の体を保つ事でバランスをとる
この三年間、多くの苦しさを経験し、藍寅倫は自分自身のメンタル面の成長を感じている。だが、「怪我をせずにプレーをする事」という課題は、「怪我をしないプレーと言ってもちょっと極端で、試合中に消極的になるのも、良くないと思います。ですから、状況を見てプレーするのが一番いいですね。でも、判断するのが難しいんですよ」と今でも試行錯誤している。怪我へのリスクを避けるプレーも必要になるだろうが、「正直に言うと、僕にはできません」と全力を尽くさないでプレーすることを拒絶する。一軍に復帰して、報道陣からも「怪我を恐れずに思い切ってプレーできるのか?」と何度も聞かれた。それに対する答えは、いつも「もちろん」だった。全力プレーは変えない。娘の「ブルーベリーちゃん」が生まれた後、父になった藍寅倫はより責任を感じた。「これからは家族も守れるように、自分の体を大事にしなければいけないし、どんなことがあっても立ち上がれるような人になります」。そして大学時代を思い出し、今でも陳威成監督からの教えに感謝する。「どんな事にも戦う積極的な態度は身につけて良かったと思います。あれからは、いつも真面目に様々な課題と向き合う事ができているため、簡単に諦めません。このような地道に努力することがとても好きなので、将来コーチになったら、こういうふうに学生に教えます」これからのシーズンも、藍寅倫は常に全力で戦い、自分の体を大事にしながらも、責任感を持ってグラウンドに立つ。