【CPBL情報】日米の球歴を持つ陳品捷、少年から大人へ

 

 

 

 

 

 

 

 

「子供の頃、先生かだれかが近づいたら、すぐ隠れようとして、できるだけ顔を合わせないようにしていました。他の人の前を通ることもしたくなかったし、話しかけられるのも嫌でした」と、陳品捷が子ども時代の自分を振り返ってこう言った。とても内気だった彼は、海外で生活できるように、いろいろなことに挑戦したそうだ。

 

陳品捷Profile

生年月日:1991.07.23(26歳)

身長/体重:184cm/80kg

守備/投打:内野、外野手/右投げ左打ち

経歴:シカコ・カブス(2009~2015)→シンシナティ・レッズ(2016)→ロサンゼルス・ドジャース(2016.05~07)→日本独立リーグ徳島インディゴソックス(2016.07~2017.07)→富邦ガーディアンズ(2017シーズン中~)

 

 

 

取材/李艾純 写真/戴嗣松 翻訳/黄意婷

 7年間、アメリカと日本でプレーした陳品捷は、他の選手より海外に滞在した時間がずいぶん長かった。2009年の夏、憧れの先輩のあとについて、南英商工学校を卒業した陳品捷は30万ドルの契約金でシカコ・カブスに入団した。AAAアジア野球選手権大会の後、2010年のスプリングキャンプからカブスの一員となった。それから、「ルール・ファイブ・ドラフト」の関係で、シンシナティ・レッズとロサンゼルス・ドジャースにも入団したことがある。アメリカのチームを転々として、日本独立リーグにも1年在籍した陳品捷は昨年の夏、ふるさとに帰って、富邦ガーディアンズに入団した。あの内気だった少年も、経験豊富な大人になったのだ。

 

アメリカでの2年目。イップスに苦しめられていた

 

「カブスに入団したとき、最初の2ヶ月はあまり口をきかず、いつも話しかけられるほうでした。しかし、このチームに入ったからやっぱりコミュニケーションしてみないといけないと思いました。話しかけてみたら、英語もだんだん上手になっていきました」陳品捷は渡米当初のことを思い出すと、笑いながらこう語った。海外へ行って、「あいさつもできない」内気な人から「あいさつする」明るい人になった。それで、自分の気持ちや考え方をしっかりと表現することはとても大切なことだと気づいたのだ。

「アメリカに行って、勇気を出して他人と話し合うことができるようになりました。昔は自分の弱点が気付かれるのが嫌でしたが、ずっと言えないで心に秘めたら、自分の心をもっと傷をつけることになると気づきました。イップスにかかった時も言えませんでした。しかし、言わないと誰もわかりませんね。勇気を出して言ったら、みんな助けてくれるんです。」

 イップスになったのは、アメリカでの2年目のスプリングキャンプだった。ファーストを守っていた一人のチームメイトは、ボールがきれいに投げられないと、わざと取らないようにしていたようだった。イニングの間、常にキャッチボールをしている陳品捷はとても困っていた。すると、送球のときはエラーが続出するようになった。チームメートがかけたプレッシャーで自信がなくなり、解決策が見つからないため、どうしようもなかったそうだ。さらに、もともとクラスAに行くことになっていたが、キャンプ最後の試合でエラーを3つしてしまい、コーチに「君にとって、キャンプを延長したほうがいいかな」と言われ、結局ショートシーズンAで初のシーズンを過ごすことになった。

真面目に走塁せず、ベンチを温めるしかできなかった

 

 その時の「留年」は、陳品捷にとって野球人生で一番大きい挫折となった。まさか1つの試合で、1年間の努力が認められなくなるとは思ってもみなかったそうだ。しかし、それも我慢しなければならないと思い、「ショートシーズンAでも、頑張らなければならない。監督も『成績をよくすれば、次また上がるよ』と言ってくれました」憧れの恩師は、当時の監督マーク・ジョンソンだった。「一番僕のことを理解してくれる監督なんです。アメリカに行ったときから監督の指導を受け、クラスAも、アドバンスドAも監督についていました。とても厳しい監督ですが、父のように面倒を見てくれました。ある試合でゴロを打ったが、一塁へダッシュしなかったから、『ダッシュした?』と厳しく聞かれました。『いいえ』って答えたら、『じゃ、これから3日間試合に出るな』と叱れました」陳品捷が恩師のことを思い出しながら、そう語った。

 ジョンソン監督は選手を叱ったとき、必ず選手に叱られた理由を理解してもらうそうだ。大リーグに行くには、消極的な態度で試合をしてはいけない。「多くの選手が、大リーグに行くために励んでいるんだ。まだショートシーズンAにいる君は、もっと積極的にならなきゃいけない」今でもジョンソン監督の言葉を肝に銘じて、陳品捷はその後、どんな打席でも、出塁できるチャンスを逃さないように全力でダッシュするようになった。

 ジョンソン監督の指導のもとで、積極的な態度で毎日の試合に立ち向かい、アドバンスドAで優勝を勝ち取ったこともある。これはアメリカで一番忘れられない思い出である。「決勝戦でサヨナラヒットを打ったんですよ!チェンジアップがバットのヘッドに軽く当たっただけですが、サードを抜けて勝負が決まりました」と笑いながら思い出した。

 

予想外が続出。帰国の日程も不明だった

 

 アメリカでお世話になったのは、ジョンソン監督だけではなく、ホームステイ先のパパLeoとママJudyもそばにいてくれた。当時、陳品捷は王躍霖(現在・ラミゴモンキーズ投手)と同じ家に住んでいた。家に着いたらパパとママはすぐノートを出して、好きな食べ物をちゃんとメモに取ったそうだ。翌日、二人の大好物であるステーキが食卓に並んだ。冷蔵庫にはいつもおいしい飲み物が入っていて、洗濯物もいつもきれいに畳まれていた。

 そんな暖かい家族に見守られ、最初は言葉が通じなかったが、だんだんアメリカのことに慣れてきた陳品捷は、ある年のスプリングキャンプで外野の守備時にファインプレーを見せたおかげで、センターに転向した時期もあった。アメリカで経験したことによって、もう一度野球が好きになった気がしたそうだ。「アメリカでは、長い時間をかけて練習しないから、もっと集中して練習しようという意欲も湧いてきますね。監督は、『質』がよければたくさん練習しなくていいと主張するんです」

 2015年の年末、陳品捷はFA選手になった。カブスともう一度契約できなければ、台湾に帰ろうと決めていたが、契約がもらえてアメリカに残ることにした。しかし、その後「ルール・ファイブ・ドラフト」でレッズに選ばれ、日本独立リーグにも行ったことは、当時の陳品捷には全く予想外だったそうだ。

「ルールファイブがなかったら、去年もおととしもまだカブスにいたと思うんですけどね。そうなるとわかっていたら、もっと早くCPBLに戻っていればよかったのに」と、悔しい思いで語った。「新しいチームに慣れるには時間がかかるタイプだし、レッズの監督も僕のことをあまり知らないので、いつ僕を出すかわからない。シーズンが始まる前、『君、第4の外野手でいてね。シーズン後半にできるだけチャンスを与えるから』と監督に言われましたが、出番はほとんどありませんでした」ベンチで代打のチャンスを待つしかできなかった陳品捷は結局トレードでドジャースに行くことになり、2ヶ月後契約が解除された。契約が解除されたとき、CPBLのドラフトが終わった10日後だったため、次のドラフトまで日本独立リーグに行ってみようと思ったそうだ。

ドラフトを見て大興奮。9日間で一軍登場

 

 日本独立リーグでの思い出はアメリカとは全く違うそうだ。選手は商品と見なされ、仕事はたくさんあるが給料が低い。チームのオーナーはコストを削減し、できるだけ「商品」を売ることを目標にした。そのため、試合前、選手が自分でフェンスの広告をかけることもあるそうだ。陳品捷はそんな日々を過ごしながら、腕を磨き、次のCPBLのドラフトを待っていた。

 「順位については特にこだわりはないと思っていましたが、2巡目ぐらいで選ばれることを期待していました。母とテレビでドラフト中継を見ている時は、とても緊張しました。1巡目では名前が出なかった…まあ、2巡目を見よう、、、1位、2位、3位…4位に出てこい!と思ったら、富邦ガーディアンズに指名されました!興奮して思わずジャンプしてしまいました。ガーディアンズはとても好きなチームですから」陳品捷はドラフトの話になると、喜びを押し隠すことができない。ドラフトの順位も契約も期待通りだったため、ドラフトから9日間で入団が決まった。「台湾に帰って、よかった!」長年海外に滞在した陳品捷にとって、帰国して先輩や同級生と再会し、母国語で話せるようになったことが、素直に嬉しいことだと感じた。

 

最強ユーティリティープレイヤーになり、3試合連続ホームラン

 

 富邦ガーディアンズに入り、陳品捷は内外野を守れる即戦力となった。シーズン後半だけで58試合、打率.328、7本塁打という成績で注目を集めた。今まで1シーズンでホームラン2、3本ほどしか打てなかった陳品捷にとっては目を見張るものがある。その中で一番忘れられないのは、3試合連続ホームランを打ったことだった。

「ないよ、ないよ。3試合連続ホームラン打てるなんて、思ってもみませんでした。今まで、ホームランを打ってもフェンスを越えた程度で、まさか澄清湖(のような大きい球場)でセンター方向へ大きいホームランが打てるなんて、びっくりしましたよ。」バッティングフォームを変えようとしないと言っているが、1試合でヒットが2本出たら、打率への心配もなくなり、「(フォーム)変えてみてもいいかな」と思ったこともあると言っている。

 昨年のシーズンオフも実りのある時間だった。アジアプロ野球チャンピオンシップの代表として出場の後、結婚。手術で骨棘(こつきょく)を治し順調に新シーズンを迎えることができた。今シーズンは、ガーディアンズの外野戦力の補強で、陳品捷は一番慣れている守備位置――セカンドを担当する予定だ。

 チームの中では、一見目立たないようだが、陳品捷はセカンドではとても安心感の守備を見せる。シーズンの始めから出場したが、個人として達成したい成績は決めず、健康な体でシーズン最後まで出場して、チームメイトと一緒に優勝を勝ちとると言っている。ホームラン後の「飛ぶ」ポーズで、新しい野球人生へ向かって飛んでいくのだ。