富邦ガーディアンズは今シーズン積極的に若い先発投手陣を育成している。林政賢はその中の一人だ。2015年の夏、思い切って大学中退し、プロ入りを決心した彼は、プロ選手としての生活にだんだん慣れ、若手左腕でエースになることも期待されている。
取材/李艾純 写真/戴嗣松.羅紹文 翻訳/黄意婷
林政賢Profile
生年月日:1995.09.13(22歳)
守備位置:投手/左投げ左打ち
経歴:義大ライノズ(2015中間ドラフトで入団~2016)→富邦ガーディアンズ(2017~)
「彼、今何歳?えっ?22?すごいですね。このまま怪我をしないで、順調にいくと24、25歳の時はすごいピッチャーになると思います。」林政賢がまだ22歳だということに気づき、富邦ガーディアンズの葉君璋監督はびっくりした。それは、林政賢が年齢を超えた成熟さを見せているからだ。葉監督は林政賢のピッチングのレベルの高さを評価し、年末の「アジアプロ野球チャンピオンシップ2017」にも出場予定で、日本や韓国の選手と対戦できるようなレベルにあると評価している。
中信ブラザーズとの相性抜群,22回3/2投球回数でわずか自責点1
ここ数年、台湾のチームは、3人の外国人選手枠をすべて先発投手だ。先発ローテーションの第4、5人目は、経験のある選手や20代後半の投手に任している。そのため、まだ20歳を過ぎたばかりの林政賢は先発投手としていい成績を残していることは、実に嬉しいことだ。
ファンにとって、林政賢への第一印象は「雨男」。昨シーズン、生涯初の先発登板は3回で雨中延期になり、4ヶ月後、ようやく初勝利を収めた。しかし初勝利も、雨の中で5回を投げて取ったものだった。昨シーズンは2勝1敗、防御率6.44という成績を残した。優れた成績とは言えないが、投球内容の質が良く、コーチに信頼される存在になった。今シーズンは、最初から先発ローテーションに入り、8月末までの成績は2勝3敗、防御率3.18。おもしろいことに、後半の初めの4回の登板は、すべて中信ブラザーズとの対戦で、22.2/3投球回数でわずか自責点1。新しい「中信ブラザーズに強い選手」と言っても過言ではない。
「前半は、ずっと自分の投球フォームが気になっていたので、逆効果になってしまいました。後半になると、考え方を変えてみました。どうやって打者に向かい、ストライクゾーンだけに集中できるか心がけました。」林政賢は語る。今年のスプリングキャンプで、コーチの指導に従い足を引く姿勢や軸足の重心の調整で、球質と球速を上げることを目指した。実は最初、コントロールは悪くなかったため、投球フォームを変えるのを嫌がっていた。しかし試行錯誤の末、だんだん上手くコントロールができ、登板回数が増えるごとに連れて、投球回数も伸ばすことができた。前半の35 1/3投球回、防御率4.89に対して、明らかに成績がよくなった。また、球速も上がり、「昨シーズンの平均は134~136キロだったが、今シーズンは140キロまで上がりましたね。将来は145ぐらいになるでしょう。その球質に球速を加えて、とてもいい投手だと思います。あとは経験を積み重ねて、体作りをしっかりすることですね。」葉監督がそのように林政賢のことを評価した。
中学校の時に実力をつけ、大学を1年でやめ「飛び級」しプロの世界へ
野球名門校の平鎮高校卒業の林政賢は、花蓮県光復郷の太巴塱集落の出身だ。家では一番下の末っ子で、上に3人の姉がいる。テレビの中継を見て野球が好きになった彼は、子供の頃、中信ブラザーズの彭政閔にいちばん憧れていた。裕福な家庭ではなかったが、親はいつも野球の道具を買ってくれて、林政賢を支えてくれる。おばあちゃんもとても大切な家族で、林政賢はよく畑仕事を手伝っており、今でもよく休みの日に、田舎へおばあちゃんに会いに帰る。
林政賢は小学校、中学校の時期、順調に野球をしてきた。しかし、練習に疲れてやめようと思った時、コーチに練習を続けさせられたこともある。中学校のとき、台東で行われた試合で、その実力を発揮して、平鎮高校の監督藍文成をびっくりさせた。それで、故郷を出て桃園に行くことになった。それと同時に、「監督がわざわざぼくを平鎮まで連れて行ってくれたから、絶対実力を出して、他の人にも認めてもらおう!」と決めた。
もちろん、その実力は監督の期待に応えた。まだ高校1年生だったが、玉山盃全國青棒邀請賽という大会で完封勝利を収め、大会のMVPとなった。平鎮高校も優勝校として2012年に韓国で行われたIBA世界野球選手権に出場した。それが人生初めて代表のユニホームを着た日だった。「あの時、チームで一番年下だったので、試合に出るチャンスも少ないとわかってました。しかし、先輩たちの姿を見て、自分がマウンドに立ち打者に向かったら、どんなボールを投げるかを想像してみました。それも勉強になりましたね。」と、思い出しながら語った。初めての国際大会でその実力が認められ、その後、U-18ワールドカップにも参加し、菁英賽、王貞治盃などの国内大会も投手部門の賞を受賞し、注目を集めるようになった。高校を卒業した時、プロに入ることを思ったこともあるが、文化大学に入ることにした。大学1年が終わった時、思い切って「飛び級」して、ルームメイトの林子崴と一緒に休学申請書を出して、プロ入りを決心した。
二軍で焦らずチャンスを待ち、巡ってきた一軍初先発が一番印象的
林子崴が2015年の中間ドラフトで第二指名として選ばれたのに対して、林政賢は六巡目となり第21指名で義大ライノズに指名された。それについては、予想通りだった。大学1年の時は試合に出るチャンスが少なく、経歴が浅かったため順位が前じゃなかったのも当然。プロに入っても、最初のシーズンは二軍で3回登板して、一軍と一緒に移動しただけだった。
昨シーズンも二軍から先発投手として登板練習をし、リリーフも経験した。そして、初登板の6月4日だった。「あれは台中インターコンチネンタル野球場での試合で、ラミゴモンキーズとの対戦でした。あの日、普段と同じスパイクを履いてユニホームを着て、6回になるとコーチに呼ばれた。余文彬投手コーチにウォーミングアップをしろと言われ、まだ状況がわからなくてベンチに座っていました。『早くしろ!』ともう一度言われ、呼ばれたのが自分だとわかりました。ブルペンで練習していた時、緊張でコントロールがまったくダメでした。マウンドに上がっても緊張がとれず、体も震えてましたね。」そう言いながらも、林政賢は3回を投げて無失点に抑えた。被安打2、与四球1、奪三振1という成績は、初登板としてとても安定感のある投球だった。そして、いよいよ先発のチャンスが巡ってきた。
8月11日、3回で90球を投げて5失点。負け投手になったが、6日後5回1失点5奪三振でプロ初勝利を上げた。小雨の中で中信ブラザーズの打線をしっかり抑えて、プロ入り一年目で一軍に上がるという目標を達成した。プロに入ってからの成長を振り返ると、林政賢は最も成長した理由が「臨機応変」に対応できたことだと思っている。「最初は様々な状況に直面するとき、とても怖かったが、この一年間の経験で、試合でどんな危機があっても、できる限り集中して、その打席への対策を練ることができるようになったのです。」
8Kでも冷静で、成熟さが強み
ルームメイトの增菘瑋選手によると、林政賢はとてもシンプルな人間だという。同じ左腕である先輩の倪福德投手によると、よくチームメイトとはしゃぐ林政賢だが、試合前になると集中し、自分がやるべき仕事がはっきりわかっているので表情も厳しくなるそうだ。そのため、試合前の林政賢はいつも一人で静かにダグアウトの柵に伏せて、一人でいるときを楽しんでいるようだ。「自分の世界で生きているの?」と先輩の增菘瑋に笑われたこともある。
無邪気な笑顔を浮かべると、八重歯とえくぼが特徴的な22歳。時々、寝坊をして、午後に起きることもある。チームメイトが取材されるとき、後ろに隠れてピースサインをする。とても子供っぽい一面を持っているが、真剣な表情で報道陣の質問に答え、「ゲームなんて時間の無駄だ」と真面目な顔で話す。エビ釣りが好きな理由も集中力にいいからだ。試合中は大げさな表情やポーズをしないで、一試合に8奪三振と自分の記録を更新しても、普段と変えず黙々とマウンドから戻る。
「彼はいつもゆっくりしていて、焦らないでいるからこそ、穏やかに歩んできたことができたと思います。彼の性格が、この二年間でストレートの球速が上がった要因でしょう。コーチの話をよく聞いて、筋トレもしっかりして、とても辛抱強い人だということがわかりますね。我々は選手に一番伝えたいことが辛抱強さだから、彼の性格がそのポイントにピッタリですね。」葉監督が述べた。
この間、右手の腕に「POSTIVE」(積極的)という文字のタトゥーを入れた。「T」のところは十字架の形をして、自分を励ますシンボルだ。表情ではわからないが、彼は実際考えすぎる人間でもない。「大したことないでしょ?そんなに考えなくてもいいよ!」と笑って言った。日を増すごとに素晴らしい投球を見せてくれる林政賢は、近い将来、左腕のエースになるはずだ。