Lamigoモンキーズの新人投手である黄子鵬は珍しいサイドスロー。大学を卒業後、アマチュア野球で一年間迷走したが、2017年にやっと念願のプロの世界に入った。去年のウインターリーグ(AWB)で先発投手として4試合を投げて、日本と韓国の打者を制すると同時に、自分のトラウマにもうち勝った。
取材/楊啟芳 写真/羅紹文 翻訳/黄意婷
黄子鵬Profile
生年月日::1994.03.19(23歲)
身長/体重:183cm/80kg
守備/投打:投手/右投げ左打ち
経歴:Lamigo Monkeys(2017シーズン中~)
開幕戦でNPBイースタンに対して6回2失点、準々決勝ではKBO選抜との対戦で6回自責点0、4試合で2勝1敗、防御率はわずか1.08だった。Lamigoモンキーズの黄子鵬は、その成績でサイドスローのエースになると宣言したようだ。投球の際、腕の位置が、常に対戦相手を惑わす投法で、準々決勝では7回にピンチを迎えるも、失敗とは思っていない。「やっと、自分のトラウマに勝った」と、冷静にピンチを乗り切ることができた。
トラウマと戦い、コントロールが定まる
「昔は調子がよくなかったため、今回の試合でようやく試合をしている実感が持てましたね。」2017年のAWBは、黄子鵬の3回目の出場となった。最初の2年はアマチュア台湾代表として参加したが、投球回数はそれぞれわずか3.1/3回にとどまった。2017年には25回を投げた。ここ数年間の成長について、「ピッチャーにはコントロールが一番大事だとよく言われていますが、昔はマウンドに立つと、うまく自分の体と気持ちをコントロールできなかったため、制球力も定まりませんでした。」と振り返った。
そのため、17年のAWBでの課題は「コントロール」だった。黄子鵬は成績を予想せず、積極的にストライクゾーンを攻めて、自分と戦うことを目標とした。4回の先発の中で、9個のフォアボールは以前の成績より安定し、「まだ打たれていないのに、自分を不利な状況にさせるのは好ましくないし、悔しくなると思います。ですから、緊張してもボールをコントロールできることを目標にしました。たくさん準備をしたので、今回は目標が達成できてよかったと思います。」
AWBで一番印象深い試合は、やはり注目を浴びた開幕戦だった。昔はこのような場面で登板すると、自分にプレッシャーをかけたそうだ。「明日どうしようと、うまく投げられなかったら恥ずかしいと、自分を悩ませる癖がありました。今は、そんなことを考えすぎないで、やるべきことだけに集中します。」と説明した。その精神面での成長は、投球の成長にも繋がっている。黄子鵬は運に頼らず、マウンドで打者と対戦することを楽しんでいる。「今回のウインターリーグは僕にとってとても大事な経験です。自分の目標を達成したら、自信もつけられましたね。」
トラウマを乗り越えただけではなく、AWBで勉強になったことはたくさんあった。準々決勝でKBO選抜との試合中、先発投手の朴峻杓(パク・チュンピョ)も同じサイドスローだった。黄子鵬は、投球のリズムで打線を抑えた朴選手の姿を見て、「僕は投球数が多すぎて、相手の打者にはわかりやすいですね。そうすると、不利になるから、これからは三振だけを考えないで、打者を早めのカウントでアウトにさせようと思います。」と反省した。
大学卒業後ドラフトに参加せず、球速は120キロに落ちた
実は黄子鵬の「考えすぎ」という性格は、同世代の選手より一年遅くプロに入ったことが原因だそうだ。2016年、文化大学を卒業した黄子鵬は、もともとドラフトを申し込むつもりだったが、迷った結果、願書を出さなかった。その理由は、自分はまだ半人前だと思ったからだ。「本当に考えすぎでしたね。でも、振り返ると、当時の選択も悪くないと思います。ドラフトを一度諦めたからこそ、自分が一番したいことがわかったのです。」
ドラフトを諦めたばかりの時だった。2017年、年明けの練習を再開したら、自分の調子が驚くほど悪かったことを思い出した。「コントロールも、スピードも全然なくなりました。アマチュア野球の崇越ファルコンズの入団テストで、全力を出しても120キロだった。スピードが遅いだけじゃなくて、キレも悪くて、とても慌てました。ヤケにならなくて本当によかったです。」
その時の自分はどん底だったから、ゼロから始めよう、と言ったそうだ。U-21、光州ユニバーシアード代表の栄光を忘れて、自分は野球ができない人だと思って練習しようと決心した。一つ一つの目標に向かって練習を重ねる黄子鵬は、そうやって自信を取り戻した。もちろん、コーチたちの助言も大事だった。たとえば、母校の文化大の沈柏蒼コーチは、黄子鵬の投球フォームがずっと変わっていると鋭く指摘したそうだ。
一年間迷ってやっとドラフトの願書が出せた
「大学のクラスメートもコーチと同じ意見でした。『ずっと変わっていれば、どうやって実力が発揮できるの?』と聞かれました。それで、そういった混乱から抜け出して、同じフォームの練習に集中しようと決心しました。」崇越ファルコンズの李桀郡(李風華)コーチも、投球時の考え方について指導してくれた。一番簡単なやり方は、投球の間隔を短くすることだそうだ。コーチの指導した通り、ボールを手にしたらすぐ投げて、「いつもの考えすぎ」もなくなった。フォームも投球習慣も工夫した結果、やっと昔の限界を超えた。
「投球習慣が安定したら、体の使い方もよくわかって、最後に細かい部分を修正すると、今の投球フォームも決まりました。昔のように、その日の調子によって投球が良かったり悪かったりせずに、今は自由にボールをコントロールできます。」一年間迷走した後、2017年の中間ドラフトの前日、黄子鵬はようやく勇気を出して、願書を提出した。しかし、緊張は相変わらず抑えきれなかった。
ドラフト会議の当日も、黄子鵬はオランダのワールドポート・トーナメントで、先発投手として試合に出る日だった。「去年はドラフトに参加しなかったし、僕の調子もよく知られているから、落ちることをとても心配しました。」とその日のことを思い出した。代表団のチームメイトはみんなテレビでドラフト会議の中継を見ていたのに対し、黄子鵬は緊張をなるべく抑えて、ブルペンで練習した。すると、コーチが中から出て、指で「7」のジェスチャーをした。「まさか、7巡目か…と、少しがっかりしましたが、その時の僕にとって、選ばれた事は本当によかったです。球団に感謝しています。あれから調子を取り戻して、またウインターリーグのマウンドに立つことができたと思います。」
自分の限界を超え、プロの舞台を楽しみにしている
一年間の辛さを耐えて、やっとプロ野球という舞台に登場した。7巡目として選ばれたが、今回のAWBで昔の限界を超え、良い投球を見せた。自信を付けられた黄子鵬はもう新しいシーズンの挑戦に怖がらず、むしろ、一軍のマウンドに立ち、強打者たちとの対決を楽しみにしているそうだ。そのため、AWBの後も休まないつもりで、「体をもっと強くして、スプリングキャンプのトレーニングをこなし、シーズンに対する準備をしっかりしようと思います。新しいシーズンはAWBより何倍も長いですからね。」と宣言した。
中学時代からずっとサイドスローの黄子鵬は、高1の時、一度怪我でオーバースローに変更した。しかし、やはり本命のサイドスローを取り戻して、国際試合、人生のスランプなどを経験した彼は成熟した投手となった。台湾では、サイドスローはとても珍しいため、その特徴を活かし、プロの一軍、そして国際試合での活躍は、とても期待されている。