【CPBL情報】一軍に上がり父に見せよう! 申皓瑋、生まれつきの野球人

 

 

 

 

 

富邦ガーディアンズはシーズンの前半、ケガをした選手が次々と現れたため、申皓瑋が予定より早く一軍に登録されることになった。昨年のシーズン中に行われたドラフト会議で、第二指名として選ばれ、520万台湾ドルの契約金も今までの高卒野手で一番高かった。生涯初の試合で長打を打った申皓瑋は、とても将来性が期待できる選手だ。

取材/李艾純 撮影/戴嗣松.羅紹文 写真/申皓瑋提供 翻訳/黄 意婷

 

申皓瑋Profile

生年月日:1997.09.12(19歲)

身長/体重:183cm/75kg

守備/投打:外野手/右投右打

経歴:義大ライノズ(2016)→富邦ガーディアンズ(2017~)

 

成績20170924

 

 取材の直前、まだチームメイトとはしゃいでいた申皓瑋は、時間になるとすぐ気持ちを切り替えて、真面目に話すようになった。高卒としてプロの世界に入りまだ半年ぐらいだが、すっかりおとなしくなった。野球人としての溢れる才能は、まさに生まれつきだ。その野球人生の始まりも、まるで小説のようなストーリーだ。

 

野球中継を見て野球が好きになり、家族全員で野球ごっこ

 

 出身地である南投県信義郷には、野球をする人がいなくて、両親も野球ファンではなかった。おもしろいことに、ある日、テレビで偶然プロ野球の中継を見た。「どうして親が中継のチャンネルに合わせたか、どうして中継の画面が脳裏に焼き付いたか、全然わかりませんでした。」今でも、あの日の黄色いユニホームを着たブラザーズ対興農ブルズの試合を覚えている。あれから、野球が申皓瑋の人生の一部になった。木の枝をバットに、石をボールにして、野球をしようとしていたが、いつも家のガラスを割ってしまった。選手のスイングを真似して、キャビネットを壊したこともある。自分がボールで遊んだだけではなくて、家族ともいっしょに野球をし、妹が下手なキャッチボールをしたら、叱ったこともある。あの頃を思い出すと、申皓瑋は笑顔が浮かべた。そんな野球が好きな息子を見て、父は野球のサークルのある小学校に転校させ、それから、市内の野球部のある千秋小学校に転校させた。

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 千秋小学校に転校したとき、そこの生活にはどうしても慣れなかった。もう6年生だったのに、技術も体力も同級生や後輩に劣っていた。たくさん練習して、中興中学校に入ったとき、やっとその才能を見せることができたのだ。何度も南投県の代表として試合に出て、打撃部門の賞を取った。そのため、野球名門校も申皓瑋を狙っていた。「もともとは高校に入っても南投県に残そうと思っていたんですが、高苑(商工高校)の監督が父を訪ねました。それで、父も南投を出ることを勧めた。ずっと同じ場所にいたら、上手にならないぞ、と父が言ってくれた。そのことで、父が本気で私を野球選手として育ててくれていることがわかりました。」

 

高卒でプロに挑み、一軍で走攻守を猛訓練

 

 家族の期待もあり、コーチにも頑張っている姿を見せようと思って、申皓瑋はもっと出場できるように、内野手から外野手へ転向した。まだ高1でしたが、その時から試合に出るようになり、優れた打撃力で、2014年U-18アジア選手権大会の代表に選ばれた。「中学2年生の時も代表として選ばれたかったが、その時は結局選ばれませんでした。U-18で他の国と対戦することによって、たくさんの経験を得ました。小さい頃はずっと南投にいたから、対戦経験が少なかったが、U-18の後はいい経験を積み重ねたので、自分の能力も上がりました。」

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 翌年のU-18、再び代表として選ばれ、年末の黑豹旗全国野球選手権大会でチームのクリーンアップを担い、チームの優勝に大きく貢献した。全国大会で全く緊張しなかったようだが、申皓瑋は自分の「平常心」を最後まで貫くことができたと思っている。どの試合においても同じ気持ちで、あまり難しく考えずに自分の実力が発揮できたのだ。また、打撃能力について、高校時代の筋力トレーニングやチームで行われる自主トレーニングなどは役に立ったが、「ほかは、わたしもよく知らないかな。小さい頃はどうしても落ち着かなかったし、パソコンも携帯もなかった。自分が野球選手になったつもりで、ずっとスイングして、こうなったでしょうね」その答えには、まだ19歳の子供らしさが溢れていた。

 高校を卒業した申皓瑋はもともと進学を考えたが、家族のために早く働こうと思い、コーチもドラフトを勧めたため、迷わず「飛び級」でドラフト会議に申し込んだ。去年の1年目のシーズンは、一軍の先輩たちと一緒にいて、たくさんの話を聞いて、台湾シリーズで優勝を勝ち取った瞬間を見た。走・攻・守、いずれも練習している申皓瑋は、やっと今年の5月20日に、一軍での初出場を迎えた。

 

「コーチよりも厳しい」父は、週末必ず試合を見に来る

 

「あの日、球場に着いたら、監督が『サイン、全部覚えてる?よく準備しろよ!』と言いました。え?と思って、スターティングメンバーを見たら、自分の名前が入っていました。頭が真っ白になって、しばらく座っていたら落ち着いて、林哲瑄先輩に聞くことにしました。哲瑄先輩はよくセンターを守るから、守備についていろいろ教えてくれました。」最初の2打席は三振したが、3打席目でツーベースヒットを打ち、プロ入り後初ヒットを打った。その後、一軍に残り、憧れの先輩たちと一緒に外野手として活動することになった。

 これから、様々な部分で上達したいと思っているため、今の自分を評価しないことにしている。プロに入った時も、他の人よりもっと頑張らなくてはいけないと、覚悟した。「家族のために一生懸命頑張ろうと思います。好きな仕事だし、父にいい成績を見せたいし、諦めるわけにはいきません。」父のことを話したら、また子供のような笑顔を浮かべた。

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 昔、家族は全然試合を見に行かなかったため、申皓瑋はずっとチームメイトのことを羨ましがっていた。ある日、「我慢できず」親に文句を言った。実は両親もとても見に行きたがっていたが、仕事で行けなかった。今、両親はできるだけ週末を空けて試合に行くことにして、「あれから、どの試合も見に来てくれます。桃園での生涯初の試合はいきなり決まったことだったので、家族に伝えられませんでした。次の試合は土曜日で、父はまだ残業があったが、仕事が終わったら、夜中に運転して桃園まで来てくれました。」

 家族に愛されている申皓瑋は「父はわたしにはいつも厳しいですよ。大きくなればなるほど厳しいんです。コーチよりも厳しくて、試合の後、今日の成績とか、何回三振したとか、毎日言っています。」と父のことについて、こう語った。三振率は少し高いが、先輩たちは気にするなと言っている。三振でも、フライアウトでも同じアウトで、「必ず通らなければならない道でしょう」。バットをしっかり握りしめていれば、これから歩む道が素晴らしき旅になるはずだ。